平成少数派の生活と意見

ネットの片隅でどうでも良いことを呟く

「ですます調」と「である調」

付箋

 フランスの小説家レーモン・クノーは『文体練習』という作品で、1つのストーリーを、99通りの異なる文体で描いているそうだ。

99通りもの文体を書き分ける力が無い人間でも、どんな文体にするか悩む事はある。

ブログに限らず、文章を書くにあたっては、文体をどうするか最初に決めなければならない。

その中でも「ですます調」と「である調」については基本中の基本で、最初にどちらで行くか統一しなければならない。
今回は、この「ですます調」と「である調」の話。

エントリー毎に「ですます調」と「である調」を使い分けるという方法もあるが、ブログ全体のイメージを作るためにも(たぶん)どちらかに統一した方が良い。

どちらにも、良い点・悪い点があり、結局のところ自分が好きな方、という結論になるのだが、好きな方と言われてもねえ、という感じで悩ましい。

「ですます調」と「である調」の良い点・悪い点を簡単にまとめてみる。

 

「ですます調」
  • 優しく柔らかい雰囲気になる。
  • 書き手に親近感を持ってもらいやすい。
  • 語尾に変化がつけづらくなる。
  • 気をつけないと読者に媚を売っていると誤解される可能性がある。

 

「である調」
  • 断定的で厳しく引き締まった雰囲気になる。
  • 語尾の変化にバリエーションが多いので、語尾が単調になりにくい。
  • 口調がきつくなりがちで、誤解を与えてしまう可能性がある。
  • 堅苦しい感じを与えてしまう。


個人的な印象では、「ですます調」を使っているブログが多いように思う。
断定的な「である調」は、誤解から読者の反感を買う可能性が出てくるので、反応をダイレクトに受けるネットの世界では「ですます調」を使った方が無難なのかもしれない。

 

悩む女性

 で、結局お前はどうなのよ、という話になるのだか、実は決め切れていない。
このブログは最初「ですます調」で始めたが、途中から「である調」に変えてみた。
しかしこれで決まったわけでは無く、また「ですます調」に戻るかもしれない。
要するに迷っているのだ。(^^;)

読む時はそれほど気にしやしないのだが、書く時になると悩む。
そんなことで悩んでいないで内容についてもっと悩めよ、と言われたら返す言葉もないのだが。

まあ、書きながら自然に文体が出来上がっていくのを待とうと思う。
文体というものが、自然に出来上がって行くものなのかどうか知らないが。