平成少数派の生活と意見

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ハリウッド女優は本当に皆脱ぐのか?

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スケベオヤジのお決まりの批判?

先日、自分の作品のことは棚に上げて、他人の作った映画の悪口を言う事を売りにしている某監督が、『紙の月』について、「物足りない」と言っていた。

宮沢りえさんの濡場が物足りないのだそうだ。もっと大胆に、思い切って脱がなきゃ、と。その時、ハリウッドの女優なら全部さらけ出して、フルヌードで激しい濡場を演じていた、と、ハリウッド女優を例に出して批判していた。

こういう批判を聞くと、桃井かおりさんが昔ラジオで言っていた言葉を思い出す。

「よく、ハリウッドの俳優は凄いって言うじゃない?例えば一つの作品の中で体重を極端に変えたりしてとか。それに比べて日本の役者は、とか言うのやめて欲しいのよね。だってそうでしょう?あの人達、いくらもらってると思ってんの?私だってハリウッド俳優位もらえるならいくらだって頑張るわよ。デブにでもガリガリにでもなるから。大金もらってそのあと何年か休めるんだから何でもやるわよ」

 

そもそもハリウッド女優はみんな本当によく脱ぐのか?

例えば、昨日書いた映画『しあわせの法則』。冒頭にあるSEXシーンは、これから始まる物語を暗示している、非常に重要なシーンだ。

若い二人の未熟さ、生真面目さ、不安、自信のなさ、欲求不満、強い自制心、思いやり、相手への思いやりから出来る微妙なすれ違い、母親との関係、子供を思っての行動が子供の迷惑になる状況。

イメージの効用と映画的表現の力強さを感じさせる見事な演出で、とても重要なシーンである。しかし、この重要なSEXシーンで、ケイト・ベッキンセイルは脱いでいない。ベッドの上で、Tシャツを着たままSEXしている。

その事で、このシーンの価値は落ちるのだろうか。私は落ちないと思う。ケイト・ベッキンセイルが脱げば話題になるだろうし、興行にもそれなりのプラスが見込めるだろうし、そもそも裸の方が自然だけれど。

でも、あのシーンでは、3人の関係性(若い婚約者二人の関係、男性と母親の関係)を短い時間で表現する事の方に主眼が置かれているのだから、あれで良いと思う。

 

もちろん思い切ったヌード、大胆な濡場をみせる有名女優もいる。

アメリカ映画やアメドラのSEXシーンでは、女性がTシャツや下着を着たままというのをよく見る。実際のアメリカ人の性生活について良く知らないので、それがリアルな事なのかどうかは分からない。

おそらく映画のレイティングシステム対策なのだろうと個人的には思っている。アメリカのレイティングシステムは非常に厳しいらしいから。

そんな状況の中で、時々有名女優がフルヌードで大胆な濡場をみせたりするから強く印象に残るのではないか。数が多くなくても、印象が強い為にバイアスがかかっているように思う。

認知バイアスが働いて、実際の数より多い気がしているのではないか。脱がない演技派のハリウッド女優だっていますよね。

人に自慢できる程ハリウッド映画を数多く観ているわけでは無いので、間違っているかもしれない。でも、ハリウッド女優を例に出して、日本の女優や映画を腐すのはやめた方が良いと思うのだ。