父親のいない「聖女」は日本社会を写しているのか?
昨日NHKドラマ「聖女」の話をしたので今日も。
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父親がいない世界
NHKドラマ「聖女」には父親が出てこない。
主人公・基子の父親は彼女が幼い頃他界しているので回想シーンにも出てこない。
高校生の頃家庭教師の基子に勉強を教えてもらい、愛し合った弁護士・中村晴樹の父親も出てこない。
中村家は晴樹の兄が引きこもりで、家庭内に大きな問題を抱えているのだが、心配する母親は描かれても父親は一切描かれない。
晴樹の婚約者、本宮泉美の父親も出てこない。
週刊誌に晴樹と基子の過去の関係が載せられた時、泉美の父親は二人の結婚に反対するのだが、泉美が父親との電話で反対されるシーンがあるのみだ。
そこでは泉美が電話で話す事で父親からの反対を描いており、父親の声すら表現されない。
基子と関係を持ち、不審死を遂げたテレビ局プロデューサー坂東幸雄、企業役員の千倉泰蔵には家族があるが、どちらも出てくるのは妻のみで、父親としての顔は描かれない。
このドラマでは徹底して父親を排除しているのだ。
男はいる。しかし父親はいない
ドラマタイトルが「聖女」だし、一人の美しく不幸な女性を描いているので、父親など描く必要は無い、という意見もあるだろう。
しかし、ここまで徹底していると制作陣に何らかの意図があったのではと勘繰ってしまう。
このドラマの世界には男はいる。しかし父親はいない。
現代日本の病巣とリンクしてる気がとてもするのです。
結婚前の大江麻理子さんが、「女性は仕事して家事もしなきゃならない。その上子供も産んで育児もなんて、私には自信が無い」、と言っていましたが、世の男性よ、仕事だけにのめり込んでちゃいけませんぞ。